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札幌地方裁判所 平成4年(わ)1105号 判決

主文

被告人甲を懲役一年二か月に、同乙、同丙及び同Tをいずれも懲役二年に、それぞれ処する。

未決勾留日数中、被告人甲については一五〇日を、同Tについては八〇日を、それぞれの刑に算入する。

この裁判の確定した日から、被告人乙及び同丙については各四年間、刑の執行を猶予する。

理由

(犯罪事実)

第一被告人四名は、共謀して、別紙犯罪事実一覧表一記載のとおり、平成四年四月一四日から同年五月一四日までの間、前後四回にわたり、札幌市東区〈番地略〉所在の札幌市東区役所一階市民部窓口課内閲覧コーナーほか三か所において、住民基本台帳の一部が記載された同区長熊本倉保ほか三名管理の閲覧用マイクロフィルム合計一九九枚を盗んだ。

第二被告人乙、同丙及び同Tは、共謀して、別紙犯罪事実一覧表二記載のとおり、同年五月一五日から同月二七日までの間、前後六回にわたり、同市厚別区〈番地略〉所在の札幌市厚別区役所一階市民部窓口課内閲覧コーナーほか四か所において、住民基本台帳の一部が記載された同区長飯原春夫ほか四名管理の閲覧用マイクロフィルム合計二八三枚を盗んだ。

(証拠)〈省略〉

(補足説明)

第一本件事案の概要

札幌市の住民名簿は、それを入手することができれば高価で取引される実情にあったが、住民基本台帳法に基づき各区役所で管理保管されている住民基本台帳閲覧用マイクロフィルムを正規に閲覧してその名簿を作成するためには、一件一件を手書きで写さなければならず、膨大な時間と費用を要し、実際上はそのような方法によることは不可能であった。そこで、被告人らは、マイクロフィルムを一時区役所外に持ち出して複写し、原マイクロフィルムはすぐに区役所に戻して持ち出し行為の発覚を回避した上、複写したものを他に売却して利を図ろうと考え、その旨共謀した。

被告人らは、この共謀に基づいて、各自役割分担をして本件各犯行に及んだが、具体的には、被告人甲は窃盗の実行行為は行わず、被告人Tが各区役所で閲覧を装ってマイクロフィルムを借り受け、トイレに行く振りをしてこれを無断で閲覧コーナーから持ち出して区役所内の便所で被告人乙に手渡し、被告人乙と区役所外で待機していた被告人丙とが、マイクロフィルムを被告人甲の事務所等に持ち込んで、予め準備していたマイクロフィッシュデュプリケーター(以下(「デュプリケーター」という。)を用いて複写し、数時間後に、原マイクロフィルムを持って区役所に戻り、区役所内の便所で、それまで閲覧を続けている振りをしていた被告人Tに手渡し、被告人Tがこれを閲覧を終了したものの如く装って区役所に返還するというものであった。しかし、途中で仲間割れを生じ、被告人甲は別紙犯罪事実一覧表一の各犯行に加担するにとどまった。

これらの事実は証拠上疑いがなく、当事者間にも争いはない。

第二本件の争点及びその判断

本件では、被告人Tを除く被告人三名が無罪を主張しており、右の住民基本台帳閲覧用マイクロフィルム(以下「本件マイクロフィルム」という。)の財物性、占有侵害の有無、不法領得の意思の有無、可罰的違法性の有無が争点である。

一本件マイクロフィルムの財物性について

被告人らは本件マイクロフィルムを最低でも一回に三四枚盗んでいるが、関係証拠によれば、本件マイクロフィルムは、製造原価だけでも一枚当たり約一五〇円の価値を有する有体物であることが認められるから、この点だけからしても、本件マイクロフィルムが刑法二三五条にいう「財物」であることは明らかである。

もとより、本件マイクロフィルムは、住民基本台帳のマスターファイルからその上に転記された住民の氏名・住所等の情報と一体不可分の関係にあり、右情報の価値をも包含している。本件証拠上、この情報の正確な価値を評定することはできないが、本件マイクロフィルムの財物としての価値は前記のフィルム自体の価値を遥かに超えていることは明らかである。しかし、それは、あくまでも有体物たる本件マイクロフィルムの財物としての経済的価値が、それに化体された情報の価値に負うところが大きいということを意味するに過ぎない。

このように、本件マイクロフィルムについて財物性を肯定することは、同フィルムを離れた情報それ自体の財物性を認めることを意味するわけではないのである。

二占有侵害の有無について

1 関係証拠によれば、本件マイクロフィルムは、所定の手続きをして借り受けた上、各区役所の事務室内にある所定の閲覧コーナーで、コムリーダーを用いて閲覧することだけが閲覧希望者に許されており、区役所の職員に無断で閲覧コーナーから持ち出すことは一切許されていないことが明らかである。そして、閲覧を許可された者は、たとえ閲覧時間中であっても、職員から返却するよう指示されれば、直ちに返却しなければならないのであって、これらの事情、及び、そもそも本件マイクロフィルムが公務所の管理する公の財産であることに照らせば、本件マイクロフィルムは、閲覧希望者が閲覧を許されたからと言ってこの者の排他的支配下に移るわけではなく、閲覧中も区役所側の管理支配下にあると認められる。したがって、本件マイクロフィルムを所定の閲覧コーナーから無断で持ち出す行為は、管理者の意思に反してその占有を侵害するものと言わなければならない。このことは、数時間後に本件マイクロフィルムを返却したとしても何ら異なるものではない。

また、被告人らは、本件マイクロフィルムを閲覧コーナーから持ち出すことが許されないことを知りながら持ち出しているのであるから、占有侵害の事実の認識もあったと認められる。

2 弁護人は、閲覧を許可された者は、本件マイクロフィルムを許可された時間中独占的に占有でき、その占有場所を問わないと主張する。しかし、閲覧を許可された者は、他の閲覧希望者に対する関係では優先的な地位にあるとは言い得ても、弁護人が主張するような占有権限を有するものでないことは既に述べたことから明らかである。また、弁護人は、被告人らは、区役所職員から本件マイクロフィルムの返却を求められれば、一、二時間内にこれに応じられる体制をとっていたとも主張するが、仮にそのような体制を敷いていたとしても本件占有侵害の事実に何ら影響を与えるものでない上、関係証拠によれば、被告人らがポケットベルを所持していたのは、区役所職員に察知されずにマイクロフィルムの受渡しをするためであり、職員に質されれば速やかにマイクロフィルムを戻せる体制を敷いていたとはそもそも認められないから、この点に関する弁護人の主張も採用できない。

三不法領得の意思の有無について

本件マイクロフィルムは、札幌市及び各区長が管理する住民に関する記録である。市町村が管理する住民に関する記録を他の者が管理保持することは現行法上予定されていない。したがって、本件マイクロフィルムの管理権を有する各区長が私人による所定の閲覧場所からの持出しや複写を容認しないことは明らかである。また、住民名簿は、多くの業種において顧客獲得・販路拡大に利用されるため、名簿業者が介在して取引の対象とされており、なかでも、本件マイクロフィルムのように住民基本台帳から正確に転記した上で市町村の管理するものは、その網羅性・正確性のため高い経済的価値を有するものである。

このような本件マイクロフィルムを、複写する目的で所定の閲覧場所から持ち出すことは、まさに、権利者を排除して他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従いこれを利用もしくは処分する意思、すなわち不法領得の意思に基づくものであると認められる。そして、本件マイクロフィルムの場合、右のような不法領得を為すに要する時間は極く短時間を以て足るのであるから、被告人らが本件マイクロフィルムを数時間後に返却するつもりであったことや現にそのように返却したことは被告人らの不法領得の意思の存在の認定を妨げる事情とはならない。

なお、本件では、このように、被告人らが本件マイクロフィルムを複写する目的を持っていたことが不法領得の意思の主要な内容をなしているが、それは、窃盗罪における主観的構成要件要素である「不法領得の意思」の存否に関する判断において、前記の目的の存在が大きな役割を果たしていることを意味するにとどまるものである。本件での被告人らの犯罪行為は、あくまでも被告人らが財物である本件マイクロフィルムを盗んだことであり、弁護人が主張するように「情報の窃取」そのものを処罰するものでないことは言うまでもない。

四可罰的違法性の有無

以上みてきたところによれば、本件マイクロフィルムの窃取行為に可罰的違法性が認められることは、明らかである。

(累犯加重の原因となる前科)

被告人甲について

前科

判決裁判所 釧路地方裁判所帯広支部

判決年月日 昭和六〇年九月六日

罪名刑名刑期 詐欺 懲役二年

刑執行終了日 昭和六二年八月二一日

証拠〈省略〉

(法令の適用)

罰条 (各被告人の別紙犯罪事実一覧表一、同表二の各番号の行為ごとに、なお、同表二番号3は包括して)刑法六〇条、二三五条

累犯加重 (被告人甲)同法五六条一項、五七条

併合罪処理 同法四五条前段、四七条本文、一〇条(被告人甲については、犯情の最も重い同表一番号1の罪の刑に同法一四条の制限に従って加重。その余の被告人については、いずれも犯情の最も重い同表二番号3の罪の刑に加重)

未決勾留日数の算入 (被告人甲及び同T)同法二一条

執行猶予 (被告人乙及び同丙)同法二五条一項

訴訟費用 (被告人甲)刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(量刑の事情)

一全部の被告人について

1  被告人らに不利な事情

(一) 本件は、被告人らが、住民のプライバシー保護のために譲渡・販売の対象とすることを禁じられている住民基本台帳閲覧用マイクロフィルムの複製品を販売して多額の利益を得る目的で、各区役所の閲覧の運用が比較的緩やかであることに目をつけ、犯行を察知されないようにあらかじめ役割分担を決め、効率的な複写手段であるデュプリケーターを利用する等、周到な準備のもとに遂行したものである。巧妙悪質な手口によって極めて計画的・組織的な犯行であり、動機にも酌量の余地はない。

(二) 被告人らは、本件以前にもそれぞれ類似の手口によるマイクロフィルムの持ち出しを試みており、そのときは、持ち出すことはできたものの、短時間で複写できる有効な手段がなく複写は不成功に終わっていたところ、今回、デュプリケーターを入手するや直ちに本件に及んだものであって、本件マイクロフィルムの窃取によって利益を得ようとする被告人らの利欲意思は強固であったと言える。また、手段さえあれば私利私欲のために安易に違法行為に及ぶという被告人らは、順法精神が極めて乏しいと言わざるを得ない。本件の犯情はこの点においても芳しくない。

(三) 本件マイクロフィルムの内容は、一定の手続きさえ踏めば誰でも閲覧することのできる公開情報であるが、被告人らは、それを一括して、しかも区役所管理のマイクロフィルムと全く同じ形態のものを社会に流出させたものであって、本件は、世人に不安と動揺を与え、行政にも少なからぬ悪影響を及ぼした。この点も軽視し得ない。

(四) 被告人らは、名簿業者等に流出した複製住民リスト等を回収する等の原状回復措置を何ら講じていない。

2  被告人らに有利な事情

被告人Tは起訴事実を全面的に認めており、また、その余の被告人らも、犯罪の成立については争ってはいるが、客観的事実については概ね認めており、各被告人なりの反省の情が認められる。

二被告人甲について

1  被告人甲に不利な事情

(一) 本件犯行に不可欠な複写手段であるデュプリケーターを入手提供して、本件犯行の遂行を可能にするとともに、被告人乙と被告人丙を通じて持ち出しを引き受ける者をさがし、犯行当初は、他の被告人らに利益の供与を約することにより主導的役割を果たしていた。

(二) 窃盗を含む前科四犯を有し、いずれも刑の執行を受けているのに、前刑の累犯期間中に本件に及んでいる。

2  被告人甲に有利な事情

(一) 後半の五件の犯行には関与していない上、結果的には、犯行を通じてむしろ損をしている。

(二) 前刑後本件までは四年余り社会人として稼働して来ており、現在は累犯期間を経過している。

(三) 離婚のやむなきに至っているが、公判廷において、二人の子供のために良い父親になりたいとの意欲を表明している。実母も被告人甲の更生に協力することを誓っている。

三被告人乙及び同丙について

1  被告人両名に不利な事情

(一) 金に困っていた被告人Tと、実行に不可欠な複写手段であるデュプリケーターを有する被告人甲との間を仲介し、被告人Tが被告人甲を嫌っていたことから共謀の相手が被告人甲であることを被告人Tに教えない等、巧みに双方の間を取り持ち、本件共謀の成立に重要な役割を果たした。そして、犯行の目的達成や、犯跡隠ぺいに不可欠な運搬・複写という役割を分担した。

(二) 犯行後に、複写したフィルムや紙面を売りさばき、各自約四六〇万円もの利益を得ている。

2  被告人両名に有利な事情

(一) 前科前歴がない。

(二) 被告人甲及び被告人Tが犯行に積極的な意欲を示していたことに影響を受けて犯行に及び、次第に重要な役割を果たすようになったという追従的な側面もある。

(三) 各自一〇〇万円の贖罪寄付をし、公判廷においても、関係者等への謝罪意思を表明している。

(四) (被告人乙)離婚のやむなきに至っているが、両親の下からアルバイトに通い真面目に稼働するなど更生の意欲を示している。実父も被告人乙の監督を誓っている。

(五) (被告人丙)現在はアルバイトをしながら、来春の大学卒業を目指して通学中であり、更生の意欲を示している。実父も被告人丙の監督を誓っている。

四被告人Tについて

1  被告人Tに不利な事情

(一) 借金返済等のため多額の金銭を得る目的で、当初から中心となって積極的に犯行を計画し、大胆にも閲覧場所からの持ち出し行為という本件の実行行為を行い、終始主導的な役割を果たした。

(二) 合計約一〇〇〇万円という最も多額の利益を得ている。

2  被告人Tに有利な事情

(一) 前科は、軽犯罪法違反の科料一犯のみである。本件までは、真面目に会社員等として稼働して来た。

(二) 公判廷において、自らの行いを反省し、関係者・兄弟等に迷惑をかけたことを詫び・更生の意欲を示している。

五総合評価

以上の諸点に照らすと、本件では、被告人Tの刑事責任が最も重く、同乙及び同丙はこれに次ぐものであり、また、同甲は別紙犯罪事実一覧表一記載の各犯行については、同Tと同程度の刑事責任を負うべきものと認められる。

本件の量刑に当たっては、これらの事情を総合考慮した。

(求刑 被告人甲につき懲役二年、同乙及び丙につき懲役二年六か月、同Tにつき懲役三年)

(裁判長裁判官植村立郎 裁判官川合昌幸 裁判官波多江真史)

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